人を殴る。

車で飛ばす。

高いところから、なぜか飛ぶ。

こういうとき、だいたい男がいる。

もちろん、全員じゃない。

ただ、危ないことの近くには、男がよくいる。

読む前に、10秒だけ考えてみて。

危ないことをするのって、なんで男が多いんだろう。

たぶん、危ないことをしている本人は、

「よし。いまから危険なことをしよう」

とは思っていない。

いける気がする。

たぶん、これだ。

夜の道路でアクセルを踏む。

エンジンの音が変わる。

景色が後ろへ流れる。

身体は座っているだけなのに、自分の能力が上がった感じがする。

別に、目的地へ3分早く着いても何も変わらない。

でもその瞬間だけは、自分で世界を動かしている。

「俺なら制御できる」

そう思える。

殴るときも、少し似ているのかもしれない。

殴る直前って、怒っているだけじゃない。

怖い。

なめられたくない。

ここで引いたら、自分が小さくなる気がする。

その感じに耐えられなくて、先に手が出る。

相手を倒したいというより、

弱い自分を、その場から消したい。

男は子どものころから、「怖い」と言う練習が少ない。

泣くな。

ビビるな。

やられたら、やり返せ。

だから怖さを、怒りに変える。

不安を、スリルに変える。

迷いを、「いける」に変える。

もちろん、狩りをしていたからという説明もある。

身体の違いもある。

競争やモテも関係しているかもしれない。

でも、そんな説明より先にあるのは、あの感じだと思う。

危険なとき、世界は急にシンプルになる。

行くか。引くか。

勝つか。負けるか。

普段は、仕事も人間関係も将来も、何が正解か分からない。

でもアクセルを踏んでいる間は、踏むか戻すかしかない。

考えなくていい。

一瞬だけ、迷っている自分が消える。

危険は「生きている感じ」をくれる、とよく言う。

でも本当は、

考えなくていい感じをくれるのかもしれない。

男は危険が好きなんじゃない。

危険なことをしているときの、自分が好きなのかもしれない。

強い。

怖がっていない。

ちゃんと制御している。

そんな自分になれた気がする。

女性がこの感覚を持たないわけではない。

ただ男は、この感覚を「かっこいい」と呼ぶことを許されやすかった。

逆に「怖い」「守りたい」「今日は降りる」は、言いにくかった。

男女平等が進んだ先で変わるのは、危険を感じる身体ではなく、

どの気持ちを口にしていいかなのかもしれない。

女性も「ぶっ飛ばしたい」と言える。

男も「怖いからやめる」と言える。

母性という言葉がいつか死語になるなら、女性が守らなくなるからではない。

男も普通に「守りたい」と言えるようになるからかもしれない。

今日のところは、こう思う

危ないことをする男が欲しいのは、危険そのものじゃない。

自分が強くなったように感じる、あの数秒。

たぶん、あれが欲しい。

今日のところは。

でも、たぶんまた変わる。