たまごを食べていた。

いつもの黄色で、普通にうまそうだった。

でも、急に思った。

これ、食べちゃいけねぇ色してない?

これは栄養の話でも、食の安全の話でもない。

目玉焼きを食べていたら、急に目玉焼きがおかしく見えただけの話だ。

読む前に、10秒だけ考えてみて。

たまごを一度も見たことがない人になったつもりで、生の中身を想像してみて。

白い殻を割る。

透明なドロドロが出る。

真ん中には、黄色い丸が浮いている。

情報ゼロなら、たぶん食べない。

でも、私たちは平気で混ぜる。

焼く。

なんなら、そのままご飯にかける。

黄色なのに、うまそう

黄色って、なんとなく警戒色っぽい。

黄色い液体が道に落ちていたら、近づかない。

なのに、黄身が濃いと「うまそう」と思う。

おかしい。

たぶん私たちは、黄身だけを見ていない。

前に食べてうまかった記憶。

焼けた香り。

しょうゆをかけた味。

栄養があるという知識。

それを全部まとめて、あの黄色に貼りつけている。

美味しそうだから食べるのか。

美味しいと知っているから、美味しそうに見えるのか。

考えるほど、順番が分からなくなる。

料理は、食材の身元を消している

オムレツになると、急に料理っぽい。

肉もハンバーグになると、動物っぽさが消える。

魚も、丸ごといるより、何かに包まれてソースがかかっている方が安心する。

創作料理なんて、何を使ったのか一目で分からないほど、ちょっと価値が上がった感じさえする。

丸いムース。

謎の泡。

細いソース。

素材の正体が消えるほど、こちらは安心して「料理」と呼べるのかもしれない。

料理は、味をよくするだけじゃない。

食材の生々しさを消して、食べ物らしくする作業でもある。

その点、目玉焼きは材料の身元が残りすぎている。

割って、焼いただけ。

ほぼ現場である。

それでも、うまい。

これ以上は考えない方がいい

たまごでこれなら、肉も怪しい。

魚も怪しい。

納豆なんて、かなり怪しい。

「本当にうまいのか」と考え始めると、食べられるものが減りそうだ。

なので、この考え方はあまりおすすめしない。

今日のところは、こう思う

たまごがうまそうなんじゃない。

たまごがうまかった記憶が、あの黄色をうまそうに見せている。

たぶん。

ただ、これ以上考えると朝ごはんがまずくなる。

今日のところは、目玉焼きはうまい。

それでいい。

でも、たぶんまた変わる。