読む前に、10秒だけ考えてみて。
人を殴っちゃいけないのは、なんで?
「痛いから」以外で。
考えた?
人は殴っちゃいけない。
たぶん、痛いからではない。
痛いことなんて世の中にいくらでもある。
仕事も恋愛も筋トレも、だいたい痛い。
殴ると、世界がシンプルになりすぎる
殴っちゃいけないのは、殴った瞬間、世界がシンプルになりすぎるからだ。
正しいとか。
事情があるとか。
傷ついたとか。
そういう面倒なものが全部消える。
最後に残るのは、どっちが強いかだけ。
体がデカい。
腕力がある。
先に手が出た。
それで勝敗が決まる。
だいぶ雑なゲームだ。
人類は、この雑なゲームに飽きた。
だから法律とか裁判とかコンプラとか、殴る前に押すボタンを大量に増やした。
文明は、暴力を面倒な場所に隠した
人間が急に優しくなったわけではない。
ムカつく人は今もいる。
奪いたいものもある。
自分が正しいとも思っている。
何千年たっても、そこはあまり変わっていない。
ただ、殴ると壊れすぎる。
殴られた人は痛い。
殴った人は捕まる。
会社は謝る。
家族は泣く。
ネットでは知らない人まで参戦する。
わりと全員が損をする。
だから人類は、拳を制度に外注した。
話し合い。
契約。
裁判。
警察。
自分で殴らず、面倒な人たちに面倒な手続きをお願いする。
文明とは、暴力をなくしたことではない。
暴力を、面倒な手続きのいちばん奥に隠したことだ。
たぶん、そのほうが得だった。
倫理より先に、コスパが悪かったのかもしれない。
殴らないのか、殴れないのか
でも、殴れない人でいたいわけでもない。
殴れるけど、殴らない人でいたい。
ここがややこしい。
弱いから手を出さない人と、強いけど手を出さない人。
外から見れば、どちらも同じ「優しい人」だ。
でも、自分や大切な人が危ないとき、その差は急に出る。
必要なら戦える。
でも、だいたいは戦わない。
選択肢は持っている。
使うかどうかは自分で決める。
自由って、好き放題することではなく、できることをあえてやらないことなのかもしれない。
とはいえ、「いつでも殴れるぞ」という顔で暮らす人は、普通に面倒くさい。
強さは見せびらかした瞬間、だいたいダサくなる。
禁止したものほど、見たくなる
そんな社会なのに、格闘技は人気だ。
リングの中では殴っていい。
ルールがある。
体重をそろえる。
レフェリーがいる。
始まりと終わりもある。
日常では禁止した暴力を、別サーバーだけで限定解除する。
人間は殴ることを禁止して、殴り合いを見るために金を払う。
矛盾している。
でも、かなり人間らしい。
暴力が嫌いなんじゃない。
自分が巻き込まれる暴力が嫌いなのだ。
安全な場所から見る暴力は、エンタメになる。
たぶん欲望は、禁止したくらいでは消えない。
ルールとチケット代をつけて、商品になるだけだ。
今日のところは、こう思う
人を殴っちゃいけない。
殴ると、自分一人で世界のルールを「話」から「強さ」に戻してしまうから。
人類は暴力を捨てたんじゃない。
暴力までの距離を、ひたすら長くした。
平和は、人間が優しくなったから続いているわけではない。
攻撃できる人たちが、今日はやめておくか、と毎日なんとなく合意している。
かなり危うい。
でも、だからすごい。
そんなことを考えながら格闘技を見る。
判定には文句を言う。
もちろん、自分では殴らない。
今日のところは、そんな感じ。
たぶん、また変わる。